森下くるみ 童顔AV女優のセクシーなヌード画像
森下くるみヌード画像 90枚
1981年、日本ビデオ映像から『OLワレメ白書 熟した秘園』『ビニ本の女 秘奥覗き』の2作が産声をあげた。以来30年、大きく成長を遂げたAV業界からは数々のスターが誕生したが、動画配信の隆盛や若者のAV離れなど、その将来は必ずしも安泰ではない。森下くるみさんは童顔なAV女優として人気を博した。現在は文筆業や女優業もこなすが、AV時代を振り返る。
私がSOD(ソフト・オン・デマンド)と契約したのは1998年、19歳です。SODがAV業界制圧へ打ってでる時期でしたし、12作品というかつてない契約本数を含めて話題になりました。
あの頃、AV女優のトップは小室友里さんでしたね。小室さんを見て、やっぱり貫禄あるなあって感心してました。やがて、自分が1位になったときはうれしかったけど、これから先は落ちるだけだなって、冷めた気持ちもありました。
私は秋田の工業高校を出て、東京の食品会社に就職してお店のレジ打ちをしてました。自己主張の下手な、地味な女の子でした。セックスの経験はあったけど、AVのことは本当によくわからなかった。
だから撮影現場では、どう反応していいか迷いっぱなしでした。デビュー作から本番をこなしているんですが、監督の指示もないし、ただ横になっているだけでした。一瞬、事務所に騙されたって想いも脳裏をよぎった。新宿南口でスカウトされたとき、好きな人がいたらAVの仕事は断わっていたでしょうね。
1本のギャラの少なさにも驚きました。やっと小さな国産車が買えるくらい。グラビアやイベントの仕事をこなしたって、月150万円になることはなかったですね。
男優さんでお世話になったのは加藤鷹さんです。私がどんな状態になっても、一切動揺せず対処してくれました。そういう意味で、AVの絡みは人間性とか相性に行きつくんだと思います。
自分を表現するのが苦手な私でしたが、AVに出演することで自己肯定できるようになりました。これが最大の収穫です。ただ、キャリアを積むにつれ、要求される内容がどんどんハードになってきてしまったので、2008年に引退しました。
いまは執筆活動を中心に忙しくしています。AV復帰…それは、もうありませんね。
森下くるみ(もりした くるみ、1979年7月29日 – )は、秋田県出身の元AV女優。
略歴・人物:
秋田県立秋田工業高等学校卒業。 1998年9月に『うぶ』(ソフト・オン・デマンド)でデビュー。インディーズAVメーカー初の専属女優として、当時としては異例であった12本の出演契約を結んだ(後に契約はさらに延長された)。
2002年にはソフト・オン・デマンドを離れ、TOHJIROが設立したドグマの専属女優となり、2009年現在に至るまで出演を続けている。
公式ウェブサイトやブログを通じて、自身の趣味を公開している。それによれば、好みの映画監督はアレハンドロ・ホドロフスキー、ミュージシャンではキース・ジャレット、友川かずき、キング・クリムゾンである。また旅行も趣味であり、これまでにスペイン・タイ・マレーシア・台湾・チベット・中国南部・沖縄県などを訪れている。
近年はクラブイベントに出演して、CDを使ったDJプレイを披露したり、また雑誌でコラムや官能小説を執筆するなど、AV女優以外での活動も行っている。
要求される内容がどんどんハードになってきたので、2008年にAV女優を引退し、2011年11月にAV引退を発表。
プロフィール:
生年月日: 1979年7月29日
出身地: 日本・秋田県秋田市
血液型: AB型
身長 / 体重: 164 cm / ― kg
スリーサイズ: 85 – 60 – 89 cm
ブラのサイズ: Cカップ
活動
ジャンル: アダルトビデオ
AV出演期間: 1998年 – 2011年
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